2014年01月22日
騎馬民族バトル
騎馬民族国家 江上 波男
騎馬民族は来なかった 佐原 真
古代史にミステリーはつきものだ。

たとえば最近読んだ 「ヤマト王権と十大豪族の正体 」/関裕二 では、大化の改新で有名な中臣(藤原)鎌足はなんと朝鮮百済の王子であり、それまでの合議制的な日本国家をのっとり、藤原氏による独裁政治の礎をつくったのだという。ろくに史料のない時代の話だから誰も完全否定は出来ない。古代史は常に「フィクションとノンフィクションのはざま」にあって、作家が自由に活躍することができる。井沢元彦「逆説の日本史」シリーズもそんな感じだった。
4世紀にユーラシア騎馬民族の王が朝鮮を経由して日本に渡り北九州を征服した。それが(初代天皇と言われている)崇神天皇であり、その後、応神天皇が畿内に東遷し、各地の豪族を平定してヤマト王権を確立した。
れっきとした考古学者である江上氏の「騎馬民族征服王朝説」もそうした歴史ミステリーのひとつかもしれないが、そのスケールが桁違いに大きく、ショッキングで、かつわかりやすい。皇国史観の反省もあってか戦後日本を席巻し、手塚治虫「火の鳥」をはじめ様々なメディアに引用されている。しかし現在、考古学会の専門家にはほぼ否定されているそうである。
江上氏は騎馬民族と4世紀以降の日本人の共通点を強調し、史料に乏しい空白の4世紀を標的としてこの説をぶちあげた。これに対して佐原氏は様々な状況証拠を集め、日本人と騎馬民族が無関係であるとして完全否定する。とにかく面白いのだが、どうも話は咬み合わない。騎馬民族、遊牧民族が大好きな江上氏が構築した「フィクションとノンフィクションのはざま」にある壮大な物語に対して、農耕民族派?の佐原氏がいちいち「マジレス」していることに空虚さを感じなくもない。江上論の世界から日本を俯瞰するような圧倒的なスケール感に対して、佐原論は去勢とか内臓食の習慣の有無などに終始し、話が小さく細かいのである。
自分も、騎馬民族征服王朝説をそのまま受け入れることはできない。騎馬民族的な文化の一部が日本にやってきたのは事実だが、征服王朝という論理は飛躍しすぎているし、考古学的な証拠にも乏しい。中国側に記録が無いのは致命的だ。しかし同時に、この仮説は古代史に鋭い疑問を投げかけていると思うのだ。
5-6世紀までの日本には、鉄、馬、文字といった最も重要なテクノロジーがほぼ一方的に大陸から入ってきた。 問題はその受け入れ方である。これらの貴重な物資や知識を日本の王権が平和裏に「取り入れた」「採用した」ということが考えられるだろうか?そんなことが可能だろうか?ではそうでないとすると、戦って奪い取ってきたのだろうか。それも疑問だ。鉄や馬を持たない、つまり武力で劣る倭国が、それらを強者から奪い取ることなど出来ないはずだ。
そのころ倭人が持っていたほとんど唯一の先端技術は、古来からの海民としての海洋渡航術であろう。国としてのかたちをなす以前から、なんらかのきっかけによって交易と移動が始まっていただろう。大陸からモノを受け取るとともに、倭人は史料に残りにくい食料や人夫などを輸出していたのではないだろうか。南部朝鮮や北九州での局地的な戦いや征服も少なからずあったと思う。大陸での戦乱に敗走し渡ってきた人も多かっただろう。まだはっきりとした国境はなく、混沌とした状況が想像出来る。渡来人とは政府によって招聘された少数の使者や工人だけではなく、数万人単位の兵士や民衆を含んでいたに違いない。海民と騎馬民の邂逅が日本人をつくった。それがどんなものであったのか、強い興味を抱かせる仮説であることは間違いない。













































