2005年04月03日
PAPA
ローマ教皇 GIOVANNI PAOLO ? が亡くなった。
今日の欧州全土はスポーツ新聞でさえ、追悼記事であふれていて、一般誌面はほとんどない。
イタリアを旅したとき、何より強く感じたのはキリスト教の存在感であった。
美術、音楽、建築、そして生活のすべての絶対的中心であった。
街でも家庭でも、興奮のサッカー場でさえ、キリスト教がすべてを束ねていることが伝わってくる。
欧州人にとってキリスト教は宗教以上のもので、人生の規範、目的のようにさえ感じた。
自分の中に宗教はないし、多くの日本人にとってもなかなか理解しにくい構造だろう。
幾多の戦争を経てヨーロッパの国境は常に変動してきた。
イタリアなどは現在の国になってから100年ほどでしかない。
彼らに国という存在への帰属意識は薄くて、単なる「政治的なくくり」である。
欧州人(特にカトリック)にとっての「王」はバチカンにいるのだ。
イタリア人は教皇を親愛の情を込めてPAPA(父のパパとは違う単語)と呼ぶ。
1998年1月1日、バチカンのサンピエトロ寺院を訪れたとき、
運良く教皇による新年の説教を聞くことが出来た。
数万人を飲み込んだ圧倒的スケールの大聖堂の中、
スピーカーから聞こえるゆっくりしたイタリア語は、自分にも少しだけ理解できた。
涙しながら説教に聴き入る、ごく普通の若者に欧州社会を見た気がした。

今日の欧州全土はスポーツ新聞でさえ、追悼記事であふれていて、一般誌面はほとんどない。
イタリアを旅したとき、何より強く感じたのはキリスト教の存在感であった。
美術、音楽、建築、そして生活のすべての絶対的中心であった。
街でも家庭でも、興奮のサッカー場でさえ、キリスト教がすべてを束ねていることが伝わってくる。
欧州人にとってキリスト教は宗教以上のもので、人生の規範、目的のようにさえ感じた。
自分の中に宗教はないし、多くの日本人にとってもなかなか理解しにくい構造だろう。
幾多の戦争を経てヨーロッパの国境は常に変動してきた。
イタリアなどは現在の国になってから100年ほどでしかない。
彼らに国という存在への帰属意識は薄くて、単なる「政治的なくくり」である。
欧州人(特にカトリック)にとっての「王」はバチカンにいるのだ。
イタリア人は教皇を親愛の情を込めてPAPA(父のパパとは違う単語)と呼ぶ。
1998年1月1日、バチカンのサンピエトロ寺院を訪れたとき、
運良く教皇による新年の説教を聞くことが出来た。
数万人を飲み込んだ圧倒的スケールの大聖堂の中、
スピーカーから聞こえるゆっくりしたイタリア語は、自分にも少しだけ理解できた。
涙しながら説教に聴き入る、ごく普通の若者に欧州社会を見た気がした。













































