2017年03月31日
教科書について思うこと
道徳教科書でパン屋を和菓子屋に、アスレチック公園を和楽器店にという修正(忖度?)はあきれる他ないが、日本史の教科書にはずっと根本的な疑問がある。
豪族間の争乱の末、7~8世紀に覇権を取った勢力が自らの正当性を示すために編纂させたのが古事記と日本書紀。それ以前の文字資料は中国大陸側のわずかな記載を除けば極めて少なく、日本の古代史は何もわかっていない。7世紀以前は純粋に科学的な「考古学」の分野なので、歴史教科書においては「不確か」であることを明記し、ロマンあふれるコラム程度に取り扱えば良いと思う。その分の時間を近代史に多く使い、また民俗学や統計学の知見を借りて、権力者だけでなく一般民衆がつくってきた歴史にもっと光を当てるべきだろう。農業や産業、文化の発展と人口推移を骨格として、そこに諸外国との交流関係や時の政治体制を重ね合わせた、ダイナミクスを体感できるような歴史の授業を望む。
豪族間の争乱の末、7~8世紀に覇権を取った勢力が自らの正当性を示すために編纂させたのが古事記と日本書紀。それ以前の文字資料は中国大陸側のわずかな記載を除けば極めて少なく、日本の古代史は何もわかっていない。7世紀以前は純粋に科学的な「考古学」の分野なので、歴史教科書においては「不確か」であることを明記し、ロマンあふれるコラム程度に取り扱えば良いと思う。その分の時間を近代史に多く使い、また民俗学や統計学の知見を借りて、権力者だけでなく一般民衆がつくってきた歴史にもっと光を当てるべきだろう。農業や産業、文化の発展と人口推移を骨格として、そこに諸外国との交流関係や時の政治体制を重ね合わせた、ダイナミクスを体感できるような歴史の授業を望む。