2017年03月23日
運転免許センターでの暇つぶし
街でみかける人々は必ず場所に応じてカテゴライズ、性格付けがなされ、ある程度の偏りがある。職場や学校や趣味の集まりでは当然として、お店ならそれぞれの場所や商品やサービスを好む層が集まり、電車やバスの中ならその時間にその方面へ通勤通学する会社員や学生が多い。公共施設であっても総合病院では高齢者が、人間ドックなら働き盛りが多い、といった具合になる。地域によっても職業や年齢層などに偏りがあり、新興住宅地と旧市街や商工業地域では明確な違いが感じられる。服装や言葉遣いや態度からも、家族や同僚や客やその場所との関係が大なり小なり見て取れる。
しかし免許の更新に来ているのは県内から誕生日だけで割り振られた18歳以上の人々。クルマ社会の富山ではほとんどの大人が免許を持っているから、この人達は、ほぼ無作為に抽出された市民像ではないか。なおかつここには全員が独りで来ており、誰も着飾らず、無表情で、言葉も発さない。社会的な関係性が消去された素のままの姿である。なんとなく異様な感じがして、よく考えると街にそういう場はほとんどないことに気づいた。これはある意味で民俗学的な価値があるな、いろんな人がいるな、標準的な人間とは何か?人間は記号化されうるか?などと考えていたら1時間はあっという間だった^^;
しかし免許の更新に来ているのは県内から誕生日だけで割り振られた18歳以上の人々。クルマ社会の富山ではほとんどの大人が免許を持っているから、この人達は、ほぼ無作為に抽出された市民像ではないか。なおかつここには全員が独りで来ており、誰も着飾らず、無表情で、言葉も発さない。社会的な関係性が消去された素のままの姿である。なんとなく異様な感じがして、よく考えると街にそういう場はほとんどないことに気づいた。これはある意味で民俗学的な価値があるな、いろんな人がいるな、標準的な人間とは何か?人間は記号化されうるか?などと考えていたら1時間はあっという間だった^^;