2006年02月03日
長岡鉄男と菅野沖彦
オーディオ界を背負ってきたふたりについて。
長岡鉄男氏は2000年に亡くなった。
言わずと知れた、自作スピーカーの大家であり、自作派の教祖である。
自作品や著書の実績は質量とも間違いなく世界一だと思う。多くのタブーに挑戦し、BOSEはじめ多くのメーカーに影響を与えたといわれる。海外の自作マニアにもフォロワーが多い。フォステクスのスピーカーユニットをメジャーにしたのも功績と言える。元コメディ作家というユーモアあふれる文章のセンス、実験を繰り返す行動力、豊富な雑学知識、常人を超えた仕事量など、まさにオーディオ界の巨人。またエコノミック・オーディオを標榜し、常に庶民の味方というイメージであった。独自のオーディオ手法には賛否あるが、常に自らのスタンスをはっきりさせていた。こんな音が好きなんだ!と。
僕も学生時代に知って以来、多くの影響を受けている。長岡式スピーカーを作ったことはないが、「オリジナル作品にチャレンジする姿勢」を学んだのだ。マイナーな宮廷音楽、宗教音楽、民族音楽を好きになったのも長岡氏がきっかけだった。だから亡くなったときは本当に寂しかった。
全くの偶然だが、彼の伝説的リスニングルーム「方舟」と僕のアトリエは同じ広さである。
菅野沖彦氏は近年ではハイエンドオーディオ誌にしか出てこないし、高級品にしか興味のない評論家だと思っていたが、最近、新レコード演奏家論を読んで驚いた。僕が持っていたイメージは大間違いであった。
真空管アンプやスピーカーの自作少年であったこと。録音エンジニア経験に基づく、極めてオーソドックスでまっとうな理論。プロセスを徹底的に楽しむこと。趣味のオーディオだから、人間が関われる部分を多く残すべきだということ。(例えば、なぜプリアンプが必要か?ということについて)そしてオーディオ再生とは、ステージとは別種の、一種の「音楽演奏」であるということ。
手法は違っても、オーディオという趣味において最終的に目指すところは長岡鉄男と同じではないか!
このふたりは、メーカー広告マンと化し、怪しげなアクセサリーを喧伝するその他大勢のノンポリ評論家とは、格が違う。機械ではなく文化としてのオーディオをつくったひとである。
では僕にとってオーディオとは何か。
まず空間があり、そこに音楽がある。
その理想的なマッチングを目指すこと。
そして、できるだけお金をかけずに自作しながらも、美しく優雅に楽しむことだ。
プリメインアンプ ヘッドフォンアンプ ヘッドフォン・イヤフォン