2020年09月18日
ナカータの記憶

語り継がれる中田英寿の伝説。あの日セリエAでイタリア人の度肝を抜いた WEB SPORTIVA
セリエAデビュー戦は友達とTV観戦だったが、この年の冬にイタリアひとり旅をして、本拠地ペルージアと南部バーリでジョカトーレ・ジャッポネーゼ・ナカータのプレイを観た。美しく静かな街の質素なスタジアム、レナト・クーリでは見事なボレーシュートを決めて、周囲の観客が僕に向かって拍手してくれた。 敵地バーリではレンゾ・ピアノ設計の花びらのように美しいサン・ニコラで、徹底マークされ抑え込まれた。試合後には銃を持った警官隊に守られる僕に向かって、悪ガキサポーターたちが次々と”NAKATA!fatto niente!"(何も出来なかった!)とバイクにノーヘル2人乗りで叫びながら去っていった。ホームでもアウェイでも、ナカータとアジア人の僕を、はっきりと結びつけていた。
前年にもイタリアを旅したのだが、どこへ行っても”cinese”と言われた。子供に「ニーハオ!」と呼ばれ親が嗜めるということもあった。アジア人への差別感情は明らかだった。極東の平たい顔族といえば中国人で、小さな街にも中国料理店があった。日本人観光客はいてもイタリア社会に根ざしてはいない。最も有名な日本人は吉本ばななで、数年前にジェノアでプレーした”miura”も知られていない。しかしナカータを見たイタリア人は、生身の日本人、イタリアで生きる日本人を始めて意識した。デビューから僅か3ヶ月のナカータは認められ、尊敬されていた。どこへ行ってもナカータの話ができた。
印象的だったのは、自分はそれまで中田英寿を上手い選手、ファンタジスタ系だと思っていたが、イタリア人はみな口を揃えて”forte”と言った。forteは「強い」であり文字通り屈強とか激しいというニュアンスが強い。上の記事でもユベントスのリッピ監督が「強い選手だとは聞いていたが、まさかこれほど強いとは...」と語ったとあるが、おそらく"che forte..."と言ったのだろう。世界一守備の厳しいカルチョの国でナカータは「強い」選手と認知されていた。日本代表の中でなぜ中田が圧倒的に目立つのか。それは上手いからではない、並外れて「強い」からなのだということを、自分は全然わかっていなかったのだ。